古くから日本に伝わる庭といえば、日本庭園が有名です。
その中で、「寝殿造庭園(しんでんづくりていえん)」と呼ばれる様式の庭が存在します。このスタイル庭園は日本庭園の原点になっているといわれています。
寝殿造庭園とは、平安時代の貴族が住んでいたとされる寝殿造と呼ばれる建築物と共に造られた庭のことを指します。このことから分かるように、寝殿造とこの様式の庭園は密接に関係していることが伺えます。
福井県越前市に寝殿造庭園を再現した「紫式部公園」があるものの、寝殿造の建物及び、寝殿造庭園は実在するものがは少ないです。そのため、当時の資料や発掘調査などで調べられた内容からその構成を学ぶ必要があります。
また、寝殿造庭園は寝殿造の建物を合わせて一つの構造物と考えられていたため、まずは寝殿造について知っておかなければいけません。
寝殿造と寝殿造庭園の関係
寝殿造の建物は、高床式の寝殿(しんでん:正殿『せいでん』ともいう)と呼ばれる邸宅の主人の居所を施設の中心に設けます。平安貴族(身分の高い人)の家は、全て南向きに造られていました。
これを中心に東西に建物が伸び、両端にはそれぞれ対屋(たいや)と呼ばれる建物があります。また、寝殿の北側には北の対も存在します。それらを、渡殿(わたりどの:屋根付きの廊下)で繋いでいました。さらに、東西の対屋からさらに渡殿を設け、その先に釣殿(つりどの)があります。これが寝殿造の概要です。
そして、この建物と共に作られた庭こそ、寝殿造庭園とされています。
図を見て分かるように、寝殿造は庭を囲むようにコの字に構成されています。この建物と庭園は、かの有名な「源氏物語」でも描かれています。
ただし、寝殿造庭園は寝殿造の建物と共に作られた庭のことを指すため、その全てが同じデザインというわけではありません。
そこで、このページでは源氏物語で描かれているような、寝殿造庭園の中で最も一般的なスタイルを紹介します。
寝殿造庭園について
次に、寝殿造庭園の構成について説明します。先ほどの図を見てわかるように、この様式の日本庭園は建物の前方に庭が広がるように造られていました。
寝殿は建物の家主の居住スペースなので、そこからの眺めが一番良いものにするためです。
寝殿の目の前に位置する南側には、行事を行うための白砂が敷かれていました。その向こうには、築山(つきやま:人工的に作った山)や池があり、中島(池の中にある島)がいくつか設けられていました。その島々を結ぶ役割として、朱塗りの反り橋(アーチ状の橋)が採用されていたと言われています。
寝殿から見る寝殿造庭園の眺めは、生得(しょうとく:自然体)な山水や国々の名所を表現したものです。自然の風景を模して庭園内に作られた風景のことを、「縮景(しゅっけい)」と呼びます。また、その庭を「縮景園(しゅっけいえん)」と呼びます。この技法は、平安時代から江戸時代にいたるまで多用されていました。
その当時、庭に広がる庭では舟遊びが行われていたため、船着き場となる浅瀬も存在します。また、釣殿に関しては、池に面してあることから、ここで釣りを楽しんでいたといわれています。釣殿という名称はこのような理由があります。
池への給水については、敷地の北東部からの水源を取るパターンが多いです。そのため、水路は寝殿と東対屋の間を通り、南に流れて最終的に池に注ぐのが一般的です。
このように池に水を引き入れるようにしたものを、遣水(やりみず)と呼びます。この遣水は、浅いせせらぎとなるように工夫が凝らされていたことが発掘調査で分かっています。
ただし、寝殿造庭園の中には、池がないものも存在します。そのため、ここで紹介した構成の庭のみが、寝殿造庭園でないことを覚えておいてください。
この形式の日本庭園が生まれてからは、庭に対する考え方が改められていきました。これを元に、日本庭園は極楽浄土を庭園で表現した「浄土式庭園(じょうどしきていえん)」へと移行していきます。