単に日本庭園(和庭)といっても、さまざまな種類の庭園が存在します。その中には、「極楽浄土(ごくらくじょうど:天国)」をイメージして造られた「浄土式庭園(じょうどしきていえん)」と呼ばれる日本庭園が存在します。
浄土式庭園とは、仏教の浄土宗(じょうどしゅう)の中で「苦しみのない安楽の世界」とされる極楽浄土をこの世に表した庭のことです。
平安時代から鎌倉時代にかけて築造された日本庭園の形式が浄土式庭園です。浄土式庭園には、中国から伝わってきた仏教思考や「阿弥陀信仰(あみだしんこう)」が大きく影響しています。
そのため、浄土式庭園の造りを考えるとき、阿弥陀信仰の基本を知っておく必要があります。
阿弥陀信仰を学ぶ
阿弥陀信仰とは、「全ての仏の先生」とされる「阿弥陀仏(あみだぶつ)」を念仏(ねんぶつ:信じて唱え続けること)する仏教の宗派のことを指します。阿弥陀仏は「阿弥陀如来(あみだにょらい)」とも呼ばれています。
阿弥陀仏の教えは「どんな人をも必ず助ける、絶対の幸福に」という誓いがあります。これを、「阿弥陀仏の本願」と呼びます。
そして、阿弥陀如来がこの約束を果たすために造られた言葉が、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」です。阿弥陀信仰では、これを唱えるだけで極楽浄土へいけると信じられています。なぜ、南無阿弥陀仏というだけで絶対の幸福になれるのかというと、病気を治す薬のような役割を果たしているからです。
例えば、難病で苦しむ病人を見て、医者は「なんとか助けてやりたい」と願いました。そこで、どんな病気でも直すことができる特効薬を作ったのです。その薬を患者に飲ませたところ、病はたちまち治り、その人は何度も医師にお礼を言いました。
このとき、「難病で苦しむ病人」とは私たちのことであり、「医者」は阿弥陀仏のことを指します。つまり、医師が作った特効薬こそ、南無阿弥陀仏という言葉なのです。
しかし、どれだけ効能のある薬を作ったとしても、飲まなければ病気は治りません。
南無阿弥陀仏の薬を飲み、全快することが「信心(しんじん:神仏を信仰する心)」であり、それこそが絶対の幸福に救われたことを意味します。そして、救われたお礼に念仏を唱えます。
要するに、阿弥陀仏が南無阿弥陀仏という言葉を作った理由は、私たちに幸せを「廻向(えこう:与える)」するためです。そして、「絶対の幸福に救われ、お礼の念仏を唱える身になりなさい」という意味が込められています。これが、阿弥陀信仰の考え方の概要です。
阿弥陀信仰がなにものか理解できたところで、次は浄土式庭園との関連性について説明します。
阿弥陀信仰と浄土式庭園の関係
冒頭で述べた通り、浄土式庭園は阿弥陀信仰の極楽浄土をイメージした日本庭園です。その代表として、国宝でもある平等院鳳凰堂(10円玉の裏の寺院)が最も有名です。
浄土式庭園は、池や中島、橋、阿弥陀堂(あみだどう:阿弥陀如来像を保管しておく場所)で構成されています。
阿弥陀堂は、阿弥陀仏が全ての人を必ず助けたいと願いをかけた場所であり、極楽浄土はその願いが叶った世界とされています。また、信じる者を救ってくれる場所でもあります。中島に架けられた橋は、極楽浄土とこの世をつなぐ役割を果たします。
つまり、浄土式庭園は「生きたまま極楽浄土へ行くことができる」ということです。そのため、浄土式庭園の中にある阿弥陀堂へ参拝をするためには、必ず橋を渡る構成になっています。
また、阿弥陀堂は極楽浄土そのものを表しているため、豪華に作られた建物がほとんどです。浄土式庭園を見れば、日本が仏教に大きく影響されていることを感じ取ることができます。
ただ、大規模な池や橋を作ることから、一般住宅で浄土式庭園を採用するのは現実味がありません。そこで、浄土式庭園で有名な寺院などへ足を運べば、その場で壮大さを肌で感じることができます。
歴史や宗教について学び、そこで初めて新たな魅力に気付きます。ここに、日本庭園ならではの味があるのではないでしょうか。